憲法
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音楽
僕は歌が下手だ。
結構たくさんの人にそう言っているが、みんな気を使って否定してくれる。
でもやっぱり歌が下手だ。
自分で下手だと思ったことがないのが、また悲しくなる。
今まで俺は歌が下手だと思う人には一回しかあってない。
その時点で俺は、俺の知っている人の中で2番目に歌が下手って事になる。
俺は先天的な音痴かもしれない。
でも僕は音楽の授業はまじめに受けてきた。
縦笛が上手かったとはいえないが、楽譜だって読めたし、
大きい声を出してうたったと自負している。
だけど何の役にも立っていない。
音楽の先生は音痴なら音痴だと言うべきだ。
なぜ、大きな声で歌うことしか求められないのか。
音がずれているならそれを直してあげなければならないはずだ。
少なくとも学問であるなら、教える方がしっかりしていなかったらだめでしょう。
僕のいた学校では、大きい声で歌うという自主性と、
みんなの前で歌えるという度胸?のみで、
成績を判断していた気がする。音痴でも5段階で4が取れたのだ。
生徒に絶対音感を身につけさせるつもりで教育してもらいたいものだ。
楽譜が読めたって、ヘ音記号がかけたって、何も意味がない。
カラオケで歌歌うのに原曲の楽譜見ているやつがいたら、見てみたいものである。
音楽で習ったことなんて本当に役に立ってないと思う。
本当に楽器をやりたいやつなら、自分でも学べるし、ピアノなら元からひけるやつもいただろう。
縦笛なんか今どこにあるのかもわからないし、吹く気もしない。
何よりおかしいのは、音楽の授業の最大の行事である合唱コンクールだと思います。
これがない地方や学校もあるかもしれないが、うちの学校はありました。
生徒の中でピアノを弾く人がいると思うが、
そのピアノを弾く奴は元々ピアノをひく技術があった生徒である。
教えてもいないことをできる生徒が必要な行事ってどう考えてもおかしいと思う。
本来ならみんなにピアノを教えて、みんなに指揮を教えて、みんなに歌を教えて、
その上で指揮者と演奏者と歌う人を決めるべきなんじゃないのか。
一人で30〜40人の歌の指導なんてできるはずがないのだから、
音楽の授業は教員と時間を何倍にもするか、なくしたほうがいいと思う。 |
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非国民
戦後50年のときもそうだったが、
戦争について国民の関心が高まると、戦争時のドラマみたいなものが放送される。
たいてい主人公は、軍国主義に疑問を抱く少年であろう。
その両親も非国民と呼ばれるものもあれば、
父親は軍国主義で、父と子の対立があるものもあるだろう。
それでみる側は少年が不憫だとか、軍国主義はだめだとか思うのである。
これにはすごい疑問がある。(僕は右よりでも左よりでもありません。)
まず、今現在のものさしで過去の状況を測ってもしょうがないということがあると思う。
戦前と戦後は、社会が大きく違うのだから、戦前の徴兵制などを、人権侵害だとか言うのは、
桓武天皇に子供が100人以上いることを、不潔だの女の敵だの言ってるのに近いはずである。
所詮違う時代の話なんだから今の物差しで計るのはおかしい。
戦争だって戦後までは、外交手段だったんだし、戦争は悪いことではなかったはずだ。
歴史シュミレーションゲームをやっていて戦争しない奴はいないだろう。
三国志や戦国時代は良くて、今は戦争してはいけない理由はただ一つ。
強すぎるからだ。
これに尽きる。
決め手は核兵器ができたことだと思うけど、地球が危うくなったから禁止しただけだと思う。
核の保有国同士で戦争したら、悟空対フリーザInナメック星みたいに
相手を倒す前に星が壊れちゃうから、戦争はだめなんだと思う。
動物なんて略奪と繁殖がメインで生きてるんだから、戦争だってしょうがない。
どこまでを仲間と考えるかそれはその時代によって異なるから、
鬼畜米英だっけ?それはそのときの価値観としてありだと思う。
今の価値観で昔のことを考えてもしょうがないんじゃないのだろうか。
もうひとつは、僕ら、視聴者大勢のお祖父さん、お祖母さん、曾祖父さん、曾祖母さんは
そのほとんどが国のために懸命に生きていたとおもうし
そこに今から見れば理不尽な行動があったとしても、それも国を思うがゆえにかもしれないし、
第一どんな時代でも理不尽なこと言う人はいるのだからしょうがないはずだ。
自分の先祖は、当時の価値観で国に尽くしたというのに、それを誇らずに、
なぜ今の価値観と合致するというだけで、
非国民と呼ばれた人々を、さも正しいことをしていた人かのように考えるのだろう。
もしこれから日本が社会主義国家になったとしたら、
少数の社会主義者の人々が、正しい考えを持っていると
後々の人々に言われて、多くの人が自分の孫や曾孫から
金の亡者とか何とか言われるのだ。
今が正しいなんて誰が決めたんだろう。
日本人は謝りすぎなんじゃないか。
南京大虐殺はあったかないかわからないし、
あったとしてもそこまで責められることかね。
こっちは被爆だ。核だ。放射能だ。死傷者なら負けないぞ。
中国にこんだけ謝ってんだからアメリカも謝ったらどうなんだ。
勝てば官軍。
勝てば官軍。
勝てば官軍。
日本はアメリカの従属国ですな。何もいえないっす。 |
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姦通罪
昔刑法には姦通罪ってものがありました。
戦前の規定なんだけど、人妻はだんな以外と性交したらいけないって規定で、
夫が告訴したら、妻も相手も刑罰を受けていました。
それが男女平等の趣旨に反するといって廃止になったんだけど、
これには大いに疑問が残ると僕は思う。
この条文を作った理由は、血統の混乱を防ぐためである。
民法では、子は夫婦間の子供と推定しているから、女に浮気されて身ごもられると、
法律的には、自分の子にしなければならない。
もちろん血液型か何かで、確実な証拠があったり、獄中にいて性交が不可能なことが明らかなときは
自分の子じゃないことを立証できるだろうが、基本的に子供を自分の子じゃないと立証することは困難である。
しかも、明らかに自分の子供でなかったとしても、生まれてから3年経ったら
法律的には自分の子としての判断が決定される。ここまで夫の立場で書いてありますが、不快に感じたらごめんなさい
道徳的にはともかくとして、法律的にも、俺の考えでは本質的にも、
女性の浮気は男性の浮気より悪い。
僕は平等がすべて正しいとは思わない。男性に強姦罪が適用されないのもいいと思う。
俳優女優に美男美女が多いことも、明らかな外見差別だと思うが、ぜんぜんいいと思う。
差別ってのは、理不尽でない限り正当だと思う。それを差別と呼ぶのかは解らないが…
だから血統の混乱を防ぐために、男女を差別したことは正しいと思うし
それを男女平等じゃないからといって削除するのはおかしい。
子供の立場にたってみても、男女平等ですまされたくない問題である。
もし自分の父親が、自分の遺伝子上の父親じゃなかったら、きついだろう。
父親はそのことを知っているが、裁判で立証できなかっただけだったりしたら?
父親がB型で母親もB型で自分がA型だと献血して初めて知ったりしたら?
自分だったら耐えられない。人間不信に陥ると思う。
このように子供のことを考えてみれば、男女平等のために血統をないがしろにするなんてばかげている。
そもそも男は既婚女性と性交したら罰せられる。
女性は結婚したら夫以外と性交したら罰せられる。
男は対象を、女性は期間を、規制されているものに違いはあっても平等じゃん。
男女は本質的に不平等である。
男女雇用機会均等法は、悪法なのではないか?
元から女性、または男性の雇用が必要ないとして、それをとらないことは自由なはずだ。
しかし面接などの機会を与えなければならないのは、おかしいのではないのか。
女性は寿退社することがある。それを理由として、採用しないことが許されないのはおかしいだろう。
スチュワード?ダ―?になりたいといっても男性を理由に断られるのは仕方がないことだし、
女性が男性でないこと以外すべてをクリアしていても力士にはなれないのも仕方ないだろう。
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嘘
嘘をつくことが悪いことだと教えられてきて、
最近やっと疑問に思ったのだが、嘘をつくことがいけないことなのか?
もちろんついてもいい嘘があるって考え方は当然だと思うけど、
それ以前に嘘をつくという行為自体がいけないことだという常識は正しいのだろうか?
嘘をつくということは、人を騙す手段となるに過ぎないと僕は思う。
人を騙すという結果が悪いのであって、嘘が悪いわけではないと思う。
まぁ、こんなことあたりまえなのかもしれないけど…
僕が問題だと思うのは、嘘をつかなければ人を騙してもいいと考えてしまうことだ。
そうじゃない人もいるだろうけど、少なくとも僕はそう思って生きてきた。騙されるほうが悪いと思っていた。
例えば、付き合っている男女がいたとして、まぁいっぱいいるだろうけど…
女「昨日何してたの?」
男「(他の女の)家でテレビ見てた。」
という会話で、男が女を騙したとしても、男は、俺は嘘はついてない、という自分への言い訳ができる。
このときの本当のことを言ったのに勝手に勘違いした相手が悪いって考え方は、
嘘つきは泥棒の始まりだとかいう、嘘=悪の常識から生まれたものではないだろうか。
このような考え方が浸透している証拠でありこれを書くきっかけとなったのが、古畑の再放送。
いまさら古畑が内容知らないで見たいという人はこれより下は見ないでね。
犯人はなんかの宗教の信者で、戒律を守っていた。
その戒律には、人を欺いてはいけないというのがあった。
だから犯人は、一回も嘘を言わなかった。
そして証拠はなかったもの「殺しましたか?」と聞かれ自供してしまう。
それはいいのだが問題はアリバイを聞かれたときの犯人の台詞が
「(殺害現場の)部屋でCDを聞いてました。」であったことと
捨て台詞は「言葉足らずは嘘とは言いませんから…」だったことである。
この犯人というかこの物語の作者は、人を欺くことと嘘をつくことを同一視してることは明らかである。
犯人は、アリバイを聞かれたときに嘘はついていないが古畑を欺いたことは確かだ。
その意味で思いっきり戒律を破っているのに、嘘はいってないと開き直っている。
頭が悪いとしか思えない。
今の道徳観も似たようなものだと思う。
本当のことを言ってるにしても、相手が騙され、自分も騙すつもりでいたら
それは嘘をついたのとまったく変わらないはずなのに、
嘘はついてない、自分は悪くない、勝手に勘違いした相手が悪いと開き直る人がいる。
食べ過ぎると太るから、食べ過ぎちゃいけないのに、
食べ過ぎなかったら、運動をまったくしないで太っても良いと言っているようなものだ。
嘘を言わなければ良いみたいな考えに陥りやすい教育は良くないと思う。
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下品な言葉
何で男の子、もしくは男の人の多くは、下品な言葉や会話がすきなのだろうか?
おそらく、禁止されているからだと思う。しかも、ある意味理不尽な禁止だからだと思う。
権威に屈しないというのは、かっこいいことなんだろう。
何で下品な言葉を言ってはいけないかってことがわからないのに、なぜか禁止されている、
こういう状況で下品な言葉を言うことは、最高に気分がいいんだろう。
似たような例として、未成年の喫煙がある。
体に悪いから、法律で禁止されているから、煙草を吸ってはいけませんって言われても、
自分の体は自分のものだって思っているから、理不尽な規制だと思うと思う。
理不尽な法律や校則に縛られない、かっこいい自分に酔うために吸うんじゃないかな。
禁止されなかったらやんないと思うな。
テスト前に普段特に読みたくもない漫画をよんでしまうのも多分これだね。
殺人とかって、普通に考えてやっちゃだめなことだから、禁止されててもやんないんだと思う。
じゃあ万引きは何なんだってことになるけど、あれは営利目的だから、男女問わないでしょう。
下ネタ好きと未成年の喫煙は圧倒的に男が多いはずだ。偏見かもしれないけど…
男は、いけないことをしている自分がすきなんだと思う。
もし女性が、恥じらいとかいう感覚ではなくて、本質的に下ネタが嫌いだとしたら、それはなぜだろう。
読み飛ばし可
上の考えがなぜ女性に適用されないというのかが、下ネタ嫌いと喫煙率だと、
根拠としてあまりにも、おかしいので、補足しておきます。
非道徳的な考え方だけど、男性は、本質的には女性を選ばない。女性が男性を選ぶのだ。
男性は多くの遺伝子を残すことが、種の繁栄に繋がると思う。まぁ優秀に越したことはないけど、
女性は、より優秀な遺伝子をもらうことが種の繁栄に繋がると思います。
産めて、年に一人なら、相手選ばなかったら、話にならないでしょう。
だから選ばれる側の男性としては、自分は他の奴より優れているという相対的な優秀さが必要で、
選ぶ側の女性としては、拒絶されないだけの絶対的な優秀さが必要なんだと思う。
だから、男は他の人間が権威に屈服している状態で、屈してない自分がかっこいいんだよ。
まぁ下ネタ好きな男性をかっこいいと思う女性もいないから矛盾してんだけどね。
なせ下ネタが嫌いかに戻るけど、
もちろん僕は女性でないし、女の子の気持ちなんてまったくわからないから、
これは仮説であるし、あってるとも思わない。笑って許して。
仮説1。想像力の違いから。
もしかしたら女性は、男性よりぜんぜん想像力が豊かなのかもしれない。
これは、セックスが女のほうが百倍気持ちいいとか何とか言われているけど、
男にしても女にしても実際わからないのと同じように、普通は確かめようがないけど、
つまり、例えばウンコって言う言葉から、ウンコを連想する度合いが違うんだ
下ネタ=ウンコってのもどうかとおもうけど、まぁいいとして、
男がウンコって言うのが、好きだとしても、ウンコが好きなんじゃなくて、別にウンコとイメージしていってるんじゃない。
でもそれで女がウンコをイメージしてしまったら、それは嫌だと思うんだよね。
男女問わず、もろ想像してしまう人間はかなりまれだろうけど、男は限りなく言葉として受け止めているだけな気がする。
女がもし、少しでもイメージが沸いてしまうなら下ネタを言える女ってすごいと思う。
仮説2。盛り上がらないから。
僕の考えでは男性特有の、下ネタを言っているときのなんともいえない盛り上がりが、
女性にはないとして、盛り上がらない下ネタの会話をやるってことは苦痛なんじゃないか。
男性的には盛り上がるからわからないけど、そうかもしれないね。
つまらないことするのは、嫌だもんね。そうかもね。でもあたりまえすぎて僕としてはすごいいやだけどね。
まぁ何より、恥じらいに過ぎないかもしれないしね。
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恥じらい語について (本当の語源は知らないけどね。)
ウンコって、ウンチっていうし、チンコって、ちんちんって言うけど、マンコって、マンチともマンチンともマンマンともいわないじゃない。
最近まで、ちんちんは、チンを二回重ねたものだと思ってたけど、チンチじゃ言いにくいから、ちんちんになったのかもしれない。
とりあえず、「コ」を「チ」にするとなんとなくやわらかい表現になる気がするのは俺だけじゃいだろう。ちってなんかかわいいじゃない。
では、何でマンチはないかって言うと、やわらかくする必要がないからではないか?
おもに男性は、やわらかく表現することにこだわりを持っていない。同姓間でもいっしょだろう。
だったら女性が男性に話すときだけ、この表現は使われるのだろう。
母親は、息子にちんちんを洗えとか言わなければならない。チンコは言いにくいだろう。
母親が娘に(お)マンコ洗えとか言ってるかは知らないけどね。
でも、女が、男にマンコって言う必要があるときなんて、AVのなかだけでしょう。だから、マンチはないんじゃないか?
まぁ女性間で使うかどうか知らないけど、ウンチもちんちんも女性の恥じらいから生まれた言葉だろうね。
じゃぁやっぱり下ネタを嫌がるのは恥じらいなんじゃないか?ってことになるけどね。
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社会契約説
社会契約説は、ロック、ルソー、ホッブスがそれぞれ別なことを唱えたと思うんだけど、
ホッブスの社会契約説について書こうと思う。
彼曰く、人間はそもそも利己的なものであるから、ほっておいたらみんながみんな争ってしまい、
安息も何もあったものじゃないから、そうならないように、社会(国家?)ができたらしい。
僕はこの意見がすごく好きだった、特に人間は皆利己的なものだとかいう所がね。
でも人間がみな利己的だったら、万人が闘争するかというとそれは疑問が残る。
法律がなかったらみんな人の物を盗んだり、奪ったりするのではないかと聞かれたら、
確かにそうだろう。万人は闘争するかもしれない。
しかし、社会や国家、ましては集団さえ存在しない状態で、お互いに闘争するだろうか?
人間は利己的である。しかし、モラルや社会や国家という物がなかったとして、
同種同士で闘争することが果たして当然なのだろうか?
協力して外敵と戦い、狩猟や農業を行うことが自然ではないか?
例えば、人間二人と虎がいたとしたら、当然人間二人は協力するはずである。
しかしそれは、協力しないとお互いに闘争するからではないだろう。
本来人間の敵や獲物となる物は人間ではないはずだ。
一見社会と秩序がなかったら、万人の闘争が起こるように思われるのは、
分業の発展とお金の出現によるのではないかと思う。
分業が進んだおかげで自給自足をするということが少なくなったことと
お金ができたことによって、何をするにもお金が必要となってしまった。
お金を手に入れるためには、交換するか、人間から奪うしかないだろう。
そして、社会や秩序がなければ、売買が成立しないのだから、
お金や、物を地に入れるためには、万人の闘争が起こる。まぁこんな理論だね。
だけど、社会がなければ、お金も分業もないんだから、人襲うより狩りしたほうが楽なはずだ。
万人の闘争が起こるのは、社会があって、秩序がない状態でしかありえない。
しかし、社会って言うのは秩序そのものなのだから、そんな状態は起こるはずがない。
まぁこんな感じで、ホッブスの理論を否定してみたんだけど、
こんなことにホッブスが気付かないとも思わないから、俺が読んだ教科書が言葉足らずなんだろうな。
教えていた教師もわかっていないのだろうか?
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のび太君の先生
ドラえもんはいい作品だと思う。
のび太君は頭が相当悪いって設定だし、それがキャラなんだろうけど、
のび太君の先生の態度はあまりにもひどい。
しかもそれが常識的に認められている気がしてならない。
そこがまずいと思う。ドラえもんが悪いのではなく、教育に関する常識がまずいと思う。
今の教育の常識としては、教師が権力者だと思う。
生徒が悪いから、生徒が頭が悪いというのが常識ではないだろうか?だとしたら間違っていると思う。
生徒が頭が悪いのは教師が無能だからである。
文部省も悪いかもしれないが、教師がしっかりしていればたいした弊害ではない。
教師は少なくても義務教育では、頭が悪いやつをほっといてはいけないはずだ。
学者がどんな風に解釈しているか知らないが、
憲法の言う教育を受ける権利が単に授業を聞く権利にとどまるはずがない。
生徒が教育を受ける権利を行使する以上教師は教育する義務を負うのだ。
だから生徒がわからなかったら教師はわかるように説明しなければならないし、
テストは本来理解の度合いを計る物だから、点数をつけるだけでは足りない。
叱ることや宿題を出すことが悪いことだとは思わないが、勉強ができないやつに、
「勉強しろ!」と怒っているだけでは教育する義務を果たしているとは思えない。
だからのび太君が0点しか取れなかったら、
のび太君の先生は自分の教育の仕方に疑問を持つべきだし、
のび太君が低学年だったころの担任に話を聞くべきである。
それでなぜ0点を取るのか考えなければならない。
それが教師の勤めだと思う。それをしないで叱っているのはおかしい。
それにのび太の母はのび太を叱るだけではなく、教師にも文句を言うべきだ。
教師に敬意を払うのは当然だが、無条件に教師の言い分を聞く必要はないだろう。
問題となってくるのはやる気がない生徒をどうするかである。
やる気がなければ叱るだけで良いのか?
やる気がないのに教師として責任はないのか?
やる気を出させるのも教育の一部ではないのか?
何よりわからないからやる気がなくなるんじゃないだろうか?
やる気がないのは生徒が悪いなんて思ってちゃだめだね。
ましてやる気がないやつには教えなくていいなんてこともないはずだ。
やる気がない生徒にはやる気がでるような環境を与えなければならない。
このようなことを生徒や保護者が権利だと主張し、徹底させたら、
教師は心労でばたばた倒れていくと思う。現状では不可能だ。
しかし不可能だからといって憲法上の権利が保障されなくて良いはずがない。
これはもう制度を改革しなくてはならないでしょう。
しかしまぁ改革以前に教師には責任を感じてもらいたいね。
政治家よりも個人の人生を左右するのは教師だからね。
今の若者を馬鹿馬鹿というが、馬鹿にしたのは今の大人である。
子供が悪いんじゃない。親と教師が悪いんだ。
俺らの世代が馬鹿だと思うなら、教育が間違っていたと思わなくてはならない。
ワイドショーでもなんでも、今の若者は馬鹿だというにとどまってはいけない。
間違っていた教育方針を改善しようとしなければならない。
保護者の意識も変えなくてはならない。子供が馬鹿なのは遺伝子のせいでも子供のせいでもない。
保護者と教師のせいだろう。
自分がしつけをした自信があるなら、
子供が勉強できなかったら学校に怒鳴り込むべきだ。
そうゆう意識をもたなければ、あえて制度も変わらないだろう。
体罰なんて重要じゃない。俺は飲食店ならサービスが悪くたって美味い飯を出してほしいよ。
PTAはズレてんだよ。学校なんだから大事なのは教育でしょ。権利主張するなら教育をうける権利でしょ。
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憲法
憲法の議論になるとどうしても憲法9条の話になるが、
憲法25条も十分問題だと思う。
すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
これがその内容であるが(一項)かなりありえない規定をしていると思う。
外国人にはその権利はないのかって問題もあるが、
それ以前に国民はそんな権利を持っているのかって問題がまずあると思う。
言葉のまんまに受け止めると、裁判で、
自分は最低限度の生活をできていないから、最低限度の生活をするために、住居と生活費を支給してください。
このように言える筈である。住居がなくても最低限度の生活を営むことはできるかもしれないが、
それにしても生活費は支給されなくてはおかしい。
しかし現実に裁判所はこのような請求は認めていない。おかしい。
それにはこのような理由がある。別に読まなくても次の段落に支障はない。
我妻栄さんが言い出したらしいんだけど、簡単に書くから間違っているかもしれないけど、
基本的人権には、国家に縛られないための自由権と国家に守ってもらう生存権があり、
25条の規定は当然に生存権に関する物である。この規定に反する立法や規則をおくことは違憲である。
でも保護を受けるには他の法律によって規定されていなくてはならず、そうでない場合は、25条を根拠にして権利を主張してはならない。
なぜなら、それが許されると、財政が破綻する恐れがあるし、規定の内容も曖昧だからだ。
それゆえ25条の存在は立法の方針を定めたものにすぎないと考えるべきなのである。
実際に25条を実質的な権利としないもっともな理由なのだが、
それは憲法改正にもっともな理由であって、解釈として認めるのはおかしい。
生きているだけで健康で文化的な最低限度の生活を営んでいると解釈するならいい。よくはないが
しかし権利を有するのに、解釈によって権利を有しないことにするのはおかしい。
法律なんだから、しかも最高法規の憲法なのだから、文言どうりに受け取れるべきでしょう。
9条にしても、自衛隊は軍隊でしょう。どう見ても、
攻め込まれたら、自衛隊は戦うでしょう。いや戦ってくれないと存在意味がないし、
交戦権がないとか言われても困る。
どんな解釈しても軍を置くことの言い訳だしね。憲法改正しなくてはだめだよ
改正案として、
修正憲法9条。
日本国民は国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる侵略戦争はいかなる場合でもこれを放棄する。
修正憲法25条1項。
何人も健康で文化的な最低限度の生活を営むことを侵されない。
これだとおそらく何が侵略戦争かってことが問題となるが、侵略戦争ではないという理由が、
国際的にも、国民としてももっともであれば、戦争によって日本の領土が広くなってもいいと思う。
憲法がなくなっても平和を願うことが本当に平和を誠実に希求するってことではないか?
25条については自由権のようでもあるが、2項があるから平気だろう。
現行の憲法9条に、永久にこれを放棄する。というものがある。
これは憲法の改正を否定していると思う人が中にはいるかもしれない。
しかし「一生愛し続けることを誓う」といったところで、それはそのときの気持ちに過ぎないから、
後々「一生愛しつづけるって言ったじゃな〜い!」って言われても困るように、
そのとき永久といったからって、変える日がくれば変えなくてはならない。
日本人は憲法を愛しすぎている気がする。敬意を払いすぎている。
憲法改正の何が悪い。軍国主義に戻るとでも思っているのか?
憲法改正大いに結構。現行の憲法の解釈なんて詭弁としか思えない。
最高法規だからこそ改正する必要がある。改正していけば、誰の押し付けでもない憲法になるだろう。
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